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コォヒィの文学小話

都内大学に通う国文学生が、自身の読書の記録を中心に、「本」に関する話題を書いています。

作家は「すき焼き」がお”すき”なようです

古くは「牛鍋」と呼んでおりました

Twitter「すき焼き」が話題になっていましたが、実はすき焼きというのは本来関西流の呼び方であったそうです。グルメで有名な古川緑波は、次のように書いています。

 

今でこそ、牛肉すき焼きと、東京でも言うようになったが、すき焼きというのは、関西流で東京では、ギュウナベだったんだ。今でもギュウナベと言いたいんだが、そんなこと言ったら、映画を活動写真と言うのより、もと嘲われそうだ。いいえ、通じないんじゃないか、第一。

古川緑波「牛鍋からすき焼へ」) 

 

大体に於て、大正十二年の関東大震災の後ぐらいからではあるまいか、東京にも、関西風すき焼きが進出して来たのは。そして、大いにこれが勢力を得て、それから段々と、東京の店でも、牛鍋と言わなくなり、専ら、すき焼きと称するようになった。

古川緑波「牛鍋からすき焼きへ」 

 

緑波のこの随筆は文化論的に興味深い上、何と言ってもグルメな緑波の随筆ですから、食への愛情というものが滲んでおり、何とも好ましい随筆です。一読の価値があります。

 

作家は「すき焼き」がお”すき”

さて、すき焼きに対して語っているのは、何も緑波ばかりではありません。『ぷくぷく、お肉』二〇一四年二月、河出書房新社)という「肉」に関する随筆のアンソロジーがあるのですが、この本の目次を見ると、一番目から五番目までが、すき焼きについての随筆なんですね。作家は、阿川佐和子、私の尊敬する開高健、前述の古川緑波山田太一村上春樹。「ハルキがすき焼き!?」という声が聞こえてきそうです。偏見でしょうかね?(笑)

 

勿論上の五人の他にも、すき焼きを愛した作家は数多くいます。一八七一年創業の東京湯島の「江知勝」には、芥川龍之介川端康成が通ったと言いますし、一八八〇年創業の東京新橋の「すき焼き 今朝」は、永井荷風断腸亭日乗にも「芝口の牛肉店」として出て来ます。また、同じく「断腸亭日乗」には、次のような興味深い内容の文章があります。

 

(昭和二十年)八月十四日晴。(略)燈刻谷崎氏方より使の人来り津山の町より牛肉を買ひたれば来たれと言ふ。急ぎ赴くに日本酒も亦あたゝめられたり。頗美酒なり。細君微酔。談話頗興あり。

 

昭和二十年八月十五日は日本が降伏した日でありますが、その前日に、谷崎潤一郎と牛肉を食べながら、美味しい日本酒を飲んで、楽しく話していたと書いている訳です。何とも谷崎と荷風らしい話であると言えましょう(笑)

 

ユニークな宇野千代のすき焼き

さて、現在のすき焼きは大正・昭和の頃に比べて実に多様な形態を見せておりますが、そんな現在のすき焼きにも負けないくらいユニークなすき焼きがあります。それは作家の宇野千代の『私の作ったお惣菜』昭和六十一年九月、海竜社)にある、その名も「極道すきやき」であります。

 

「極道すきやき」は、材料費はかさみますが、作り方はシンプルです。高い牛肉に、高いブランデーと割下をかけ、更にたっぷりの卵黄をかけしばらく漬けておき、それを良質の胡麻油で焼くだけです。その味について、宇野は次のように述べています。

 

このすきやきの特長は、あの、素晴らしい 肉の旨味だけを、純粋に堪能しよう、と言う訳なのですね。その場合には、葱や豆腐は、よけいなものなのです。贅沢と言えば、これ以上、贅沢なすき焼きはありませんね。極道すきやきと名前をつけた私の気持が、誰にでも分からない筈がない、と私は思ったのです。

宇野千代『私の作ったお惣菜』)

 

今すぐにでも食べたいぐらいですが、 給料日の夕食でもこんな贅沢には踏み切れませんので、来年の正月は、お節の代わりに「極道すきやき」を食べたいと思います(笑)

 

さて、すき焼きに関する作家の話はまだあるのですが、今回はこのくらいで終わりたいと思います。今回紹介した作品の中で、緑波のものは青空文庫で読めますので、よろしければどうぞ。

古川緑波 牛鍋からすき焼へ

 

ちなみに、「極道すきやき」ではないですが、私の家の昨日の夕食もすき焼きでありました(笑)

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