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コォヒィの文学小話

都内大学に通う国文学生が、自身の読書の記録を中心に、「本」に関する話題を書いています。

カレーと作家たち①

料理 文学

給食に由来するようです

本日一月二十二日はカレーの日であります。その由来としましては、一九八二年に、学校給食開始三五周年を記念して、一月二十二日に全国の小学校中学校の給食をカレーとすることに決めたからだそうです(「今日は何の日~毎日が記念日~」参照)。しかし、残念ながら二〇一七年の一月二十二日は日曜日ですので学校は休みで給食はありません。そもそも、大学生の私に給食は出ないのですが(笑)

 

しかし、歳はとっても変わらずカレーは大好きです。そして、美味しいものは作家たちだって当然好きです。カレーの日にあやかって、そんなカレーと作家たちの話をしていきたいと思います。

 

オダサクの愛したライスカレー

作家とカレーと言えば、やはり織田作之助は外すことが出来ないでしょう。大阪に生まれ、夫婦善哉」「可能性の文学」などを書いた無頼派作家であります。同じく無頼派である太宰治の「津軽」が”津軽風土記”なら、こちらは”大阪風土記名作「夫婦善哉の中で、織田は次のように書いています。

 

このニ三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、まむしてあるよって、うまい」

 

この自由軒は大阪で今も営業を続けております。それにしても、大阪には開高健川端康成小松左京田辺聖子などなど、実に有名な作家が多く、何より大阪出身作家たちの描く”食”の美味しそうなことと言ったら…

 

魯山人よ。カレーを◯◯に見立てるのは禁じ手です

本職は芸術家であるはずなのですが、恐らく美食家として有名な北大路魯山人。彼は「料理と食器」という随筆の中で、ちょっと変わったたとえ話をして、料理における食器の重要性を語っております。

 

早い話がカレーライスという料理を新聞紙の上に載せて出されたら、おそらく誰も食おうとするものはあるまい。それはなぜであるか。いうまでもなく、新聞紙の上に載せられたカレーライスがいかにも醜悪なものに思われ、嫌らしい連想などが浮かぶからである。カレーライスそのものだけなら、これをきれいな皿に盛ろうと、新聞紙の上に載せようとも変わらないはずである。それにも拘らず、美しい皿に盛ったカレーライスは、これを喜んで食べ、新聞紙に載せられたカレーライスは見るだに悪寒を覚えて眉をひそめるのは、料理において食器がいかに重要な役目をするか物語ってあまりあると言えるであろう。

 

確か私は魯山人を芸術家であると記憶していたのですが、ここで魯山人が言っていることはただの下ネタです。そもそも、液体のものを紙にのせて出されたら何だって食べる気はしないですし、別に美しい皿でなくて普通の皿で良いです。新聞紙だって、揚物とかでしたら、少なくとも私は許容出来ます。つまり魯山人の比喩には無理があるのですが、それに気付いていないのか、それともカレーに恨みでもあったからこう言ったのか…真相は謎です。

 

その点太宰は好ましい

魯山人のように美食家として名高いという訳ではありませんが、太宰も魯山人の様にカレーを使ったたとえ話を披露しています。私としましては、こちらの方が断然好ましい「食通」という随筆の一節です。

 

食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。

(中略)

安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。

いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老の鬼がら焼きを、箸で器用に剥いて、おかみに褒められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。 

 

太宰はロシア文学を熱愛していましたから、何処かでそのようなことを読んだのかもしれません。そして、全く太宰の言う通りであると思う訳です。手が汚れたっていいじゃないですか。

そういえば、太宰と言えば青森、青森と言えば林檎、林檎とカレーと言えば、バーモントカレーですね。まぁバーモントカレーが出来たのは太宰の死後なので、太宰とは無関係ですが(笑)

 

ひとまずこの辺りで終わりますが、出来れば本日中に②も公開したいと思っております。

ちなみに、本日の昼食はカレーの日にちなんで、カレー屋に行ってきました(笑)

 

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また、今回紹介した作品は青空文庫で読めますので、よろしければどうぞ。

 

織田作之助 夫婦善哉

北大路魯山人 料理と食器

太宰治 食通