読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コォヒィの文学小話

都内大学に通う国文学生が、自身の読書の記録を中心に、「本」に関する話題を書いています。

小説は「飯テロ」に実に有効的手段であるということ

小説 文学

近年、「食」をテーマとした漫画作品が多いように思われます。つらつらと並べてみますと、孤独のグルメ」「花のズボラ飯」「食戟のソーマ」「甘々と稲妻」「幸腹グラフィティ」……枚挙に暇がありません。

 

漫画において重要なのは、何といってもやはり「絵」でしょう。単純に上手いかどうか、上手くはないけれど味わいがあるか…評価軸はそれぞれでしょうが、漫画は「食」を「絵」で「描く」ものです。

 

漫画に対し、小説にとって「食」は「文字」で「書く」もの言えましょう。私の敬愛する開高健は次のように述べています。

 

文壇用語の一つに、《食物と女が書けたら一人前だ》という言葉があって、誰がいいだしたことかわからないけれど、じつに名言だと思わせられるのである。まったくこの二つくらい書くのにむつかしいものはない。

開高健「最後の晩餐」)

 

「女」の書き手は吉行淳之介であると開高は言い、だからこそ自身は「食」を書こうという訳であります。思えば私が開高に敬意を表しているのは、その類稀なる「食」描写の巧みさにあると言えます。

そんな開高の「食」描写、これは山ほどあるのでいくらでも紹介できますが、ひとまず一つだけ紹介して、今回の記事を終えようかと思います。そういえば、最近食べていないですねぇ……

 

やがてほかほかと湯気をたてて赤くなった蟹が更に乗ってはこばれてくる。指を焼きながら甲羅をはずし、小皿の酢醤油にプツプツした卵やネットリした肝臓などをちょっとつけて頬張る。たまらなくなってすぐさま足をつかんで小皿につけ、そそくさと頬張って嚙み砕く。肉に一種独特のとろりとした膩があって、それは”油”でもなく、”脂”とも書きたくないものだが、とろりとしているのに軽快で澄んでいる。そして香りがある。

開高健「食の王様」)