コォヒィの文学小話

都内大学に通う国文学生が、自身の読書の記録を中心に、「本」に関する話題を書いています。

志賀直哉と小林多喜二と”蟹”

本日二月二十日は、志賀直哉の誕生日であり、小林多喜二の命日です。

 

一見関係のなさそうな両作家ですが、実は書簡での交流、そして昭和六年には、奈良県志賀の家に、小林は訪問、滞在しています。

 

実は、小林は志賀の作品の愛好者でありました。小林の初期の作風、例えば、全集の第一巻などに収録されている作品を見ると、プロレタリア文学の趣は全くなく、人道主義的な作品であったり、「愛」をテーマにした作品が目立つことが分かります。

 

それに、そもそも私小説プロレタリア文学は、隣接した文学ジャンルであると考えられます。プロレタリア文学も作者の体験、思想を基に作られることが多いですし、私小説も単なる事実の記述ではありません。

 

と、まぁ文学についての話はこれくらいにして(笑)、今回は、そんな志賀と小林の食を、小林の代名詞蟹工船に合わせ、”蟹”について紹介します。

 

 

まずは、小林からです。

しかし、残念(?)なことに、「蟹工船」には”蟹”を食べる場面が出てこない。成程、当然と言えば当然で、プロレタリアに”蟹”を食べる権利は与えられていなかった訳です。

では、そんなプロレタリア食べていたものは、一体何だったのでしょうか?

 

箸では食いづらいボロボロな南京米に、紙ッ切れのような、実が浮んでいる塩ッぽい味噌汁で、漁夫等が飯を食った

小林多喜二蟹工船」)

 

「一万箱祝」を兼ねてやることになり、酒、焼酎、するめ、にしめ、バット、キャラメルが皆の間に配られた。 

小林多喜二蟹工船」)

 

「酒」は日本酒を意味し、他のアルコール飲料とは区別されるのが、当時の常ですから、「酒、焼酎」となっています。

「紙ッ切れ」の様な具は、油揚げですかね?それとも干からびた大根?それに、「にしめ」の具材も気になります。

ただ確実なのは、あまりにも酷い食事である、という事ですが……。

 

 

さて次は、志賀に移りたいと思います。

志賀と食と来れば、勿論思い起こされるのは“寿司”……「小僧の神様」の“寿司”かと思います。全く関係ないですが、「小僧の神様」を読むたびに、寿司チェーン店の小僧寿しを連想するのは、私だけでしょうか?(笑)

 

志賀の“蟹”についての記述は、「痴情」という作品に出て来ます。この作品は俗にいう志賀の〈浮気もの〉の一つ。

そう、志賀は意外に破天荒な自由人で、褒められないことを多々やってのけているのです(笑)


「痴情」において、“蟹”は、浮気相手の女の形容に使われています。

 

女には彼の妻では疾の昔失はれた新鮮な果物の味があつた。それから子供の息吹と同じ匂ひのする息吹があつた。北國の海で捕れる蟹の鋏の中の肉があつた。これらが總て官能的な魅力だけといふ點、下等な感じもするが、所謂放蕩を超え、絶えず惹かれる気持を感じてゐる以上、彼は猶且つ戀愛と思ふより仕方なかつた。そして彼はその内に美しさを感じ、醜い事をもみにくいとは感じなかつた。

 

蟹の肉は白くて美しく、つややかな光沢をはらんでおります。「北國」という所に志賀のこだわりを感じますね。さぞかし美しい女の肉体が想像されます。

 

 

“蟹”の事を考えていたら、無性に食べたくなってきましたので、スーパーに行きました。
鮮魚売場になかったので、缶詰売場を確認した所、安いものでは三百円しないものもありましたが、高いものでは二千円を超えていて、びっくりしました(笑)。

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勿論、購入したのは一番安い「まるずわいがにほぐしみ」です。

 

“蟹”を食べている最中は無言になると言いますが、私としては、それよりも何よりも、値段に無言……という感じですかね。