5月9日はアイスクリームの日。グリコホームページに拠れば、制定理由は次の様にあります。
東京アイスクリーム協会(日本アイスクリーム協会の前身)では、アイスクリームの一層の消費拡大を願って、東京オリンピック開催年の昭和39年(1964年)に、アイスクリームのシーズンインとなる連休明けの5月9日に記念事業を開催し、あわせて諸施設へのアイスクリームのプレゼントをしました。
以降、毎年5月9日を「アイスクリームの日」として、この日を中心に各地区で各種イべントと施設へのアイスクリームのプレゼントを実施しています。
例えばサーティーワンでは、アイスクリームの日を記念して、”時間限定”でアイスクリーム100円セールをするそうです。”時間限定”という言葉、私初めて聞きました(笑)
サーティーワンはちょっと贅沢なアイスクリームといったところでしょうか。ハーゲンダッツなんかもそうですかね。
アイスクリームの特徴は、何よりも冷たいことです。夏にアイスが食べたくなるのも、当然それが理由でしょう。そのようなアイスクリームは、しばし”雪”に例えられることあります。
現在でも多大な人気を誇る詩人、作家の宮沢賢治、彼には「永訣の朝」という有名な詩があります。この詩に次のような一節がありました。
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
「ありました」と言ったのは、賢治はこの「天上のアイスクリーム」という言葉を、後に「兜卒の天の食」に変更しているからなんですね。
賢治がどのような思考で変更したのかは分かりませんが、個人的には、ここは「天上のアイスクリーム」の方が良かったのではないかと思います(まぁ私はそこまで賢治に関心がないので、調査や解釈を行おうという気持ちはないのですが……(笑))
さて、賢治の評価を世間に広めた人物の一人に、詩人の草野心平がおります。
以前紹介しましたように、この人も中々の美食家。
その草野にも、賢治の「永訣の朝」に近い内容の詩があります。「アイスクリーム」という詩です。
雪まじりの霙がマントにかかり。
灼泥の銀座のビジャビジャ道を歩きながら。
――急になだれる死の気配。
おれはあした魔法罎にアイスクリームをぎっしりつめて出発する。
天平よ生きていて待て。
最後のたべものにならないための改めての最初のたべものを死なずにいて待て。
うん、まぁここは、賢治に軍配……と、言ったところでしょうか(笑)ちょっと散文的過ぎですね。
作家や詩人、アイスクリームのエピソードは、何だか死の香りが漂いがちなような気がします(笑)
例えば夏目漱石、彼が甘党であったことは最早ちょっと読書が好きな日本人ならば誰でも知っている?かと思われるくらい有名な話ですが、実はと言いますか、漱石は大のアイスクリーム好き。病床でもアイスクリームを幾度となく求めていたそうすが、なんと自宅にアイスクリーム製造機まで持っていたそうです。
実は、有名な「こころ」にもそれが出て来ています。
奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。
「是は宅で拵えたのよ」
漱石と親交の深かった俳人正岡子規。病が小康状態の時に訪れた高浜虚子の家で食べたアイスクリームに感激し、次のような俳句を詠んだそうです。
一匙(ひとさじ)のアイスクリームや蘇る
ちなみに、これは日本で初めてアイスクリームについて詠まれた俳句だそうですよ(笑)。それにしても「蘇る」ですか。上手いなぁ……