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コォヒィの文学小話

都内大学に通う国文学生が、自身の読書の記録を中心に、「本」に関する話題を書いています。

最後の晩餐(文学における”人肉嗜食”)

お題「人生最後の日に食べたいご飯を教えて下さい。」

 

まだ若僧なもので、最後の晩餐に何を食べたいかなど決めることは難しいですが(笑)、そうですね……最後の晩餐の一つとして、肉じゃがは絶対欲しいです。

この時の肉は絶対に”豚肉”であって欲しい。最後の晩餐なんですから、わがままを言わせてください(笑)。とは言え、普通肉じゃがの肉と言えば”豚肉”ですかね?

 

最後の晩餐に何を食べるか、月並みな言葉になりますが、百人いれば百種類の解答がある問題だと思います。肉で話を繋げれば、ビーフステーキや豚カツを最後の晩餐に……何て方は、多いんじゃないでしょうか?

 

さて、開高健には、その名もズバリ『最後の晩餐』という本があります。

 

最後の晩餐 (光文社文庫)

最後の晩餐 (光文社文庫)

 

 

数々の美食の話が語られるこの本は最後”人肉嗜食”の話で締め括られます。武田泰淳ひかりごけ」や江戸川乱歩「闇に蠢く」に描かれる倫理上最大級の禁忌であって、ある意味正しく”最後の晩餐”な訳ですが……流石に遠慮したい(笑)

 

しかし、人類の好奇心と科学技術の進歩とは凄まじいもので。

 

gigazine.net

 

このような検証までなされています。うーむ……(笑)

 

今日ではこのように、科学的に味を探求出来ますが、このようなことは、勿論昔は出来なかったもの。江戸川乱歩に「今一つの世界」という言葉があります。現実の世界と全く異なるもう一つの世界、”人肉嗜食”は私たちが生きる現実の世界では禁忌でありますから、想像する他ないものでした。そのような未知なるものへの興味が、人を”人肉嗜食”へと誘うこともあったのでしょう。スタンリイ・エリン『特別料理』、そして米澤穂信儚い羊たちの祝宴』の”アルミスタン羊”などはその好例でしょうか。

 

食に関して話題の尽きない谷崎潤一郎も「美食倶楽部」で”高麗女肉”という料理を描いております。これの正体は美女が身体に纏った天ぷらの衣を食べるというものですが、この名前は明らかに”人肉嗜食”のイメージを人々に喚起させますね。

 

通常文学における”人肉嗜食”として思われるのは、やはり極限状態の末やむなく……と言ったものでしょうか。これは恐らく武田「ひかりごけ」や大岡正平「野火」のイメージでしょう。

 

一方で、乱歩の「闇に蠢く」における”人肉嗜食”は、武田や大岡における”人肉嗜食”が見られると同時に、愛する人との同化として”人肉嗜食”が描かれております。”食べてしまいたいくらいに愛している”という言葉がありますが、”人肉嗜食”を究極の愛情表現として描いている訳です。

 

私には”人肉嗜食”への興味はないですが、人類上究極の問題の一つであり、つまり文学的にも究極の問題たりえるものですから、これを扱った作品には名作が多い。

 筑摩書房からアンソロジーまで出ております。

猟奇文学館〈3〉人肉嗜食 (ちくま文庫)

猟奇文学館〈3〉人肉嗜食 (ちくま文庫)

 

 どうやらこのアンソロジーは有名どころは外している様子、有名なのは村山槐多の作品くらいでしょうか。

しかしまぁ筑摩書房、正確に言えばちくま文庫は、相変わらず面白いテーマで刊行しているものですね(笑)